高齢の親を持つ方や、自身の将来に備えたいと考えている方の間で「財産をどう管理し、どう引き継ぐか」という悩みが増えています。
私は遺品整理や生前整理の現場に携わる中で、数多くのご家族の姿を見てきました。そこで最も多く耳にするのが、「もっと早く準備しておけばよかった」という後悔の声です。認知症によって凍結されてしまった預金、相続争いで誰も手を付けられなくなった実家、所在不明の財産…。こうしたトラブルは、決して他人事ではありません。
その中で近年、注目されているのが「家族信託」です。家族信託は単なる節税対策ではなく、財産トラブルを防ぎ、家族の負担を軽減するための「家族の絆を守る仕組み」です。
この記事では、遺品整理の現場とも深く関わる視点から、家族信託の基本・活用例・注意点を初心者の方にも分かりやすく解説します。
1. 家族信託とは?財産管理の新しい選択肢
「家族信託」という言葉を聞くと、銀行の「信託商品」のような難しいイメージを持つかもしれません。しかし、その本質はとてもシンプルです。

家族信託の基本的な仕組み
家族信託とは、一言で言えば「自分の財産の管理や処分を、信頼できる家族に託す契約」のことです。営利目的ではなく、あくまで家族の生活を守るために行われるため「家族」信託と呼ばれます。
この仕組みには、主に3つの役割が登場します。
委託者(財産を託す人): 主に親など、財産の持ち主です。
受託者(財産を管理する人): 子どもなど、実際に管理・運用を行う人です。
受益者(財産から利益を受ける人): 多くの場合、最初は「委託者(親)」自身がなります。
例えば、父(委託者)が息子(受託者)に実家の管理を託し、その賃料収入や売却代金を父(受益者)の介護施設費用に充てる、といった形です。
成年後見制度との決定的な違い
よく比較されるのが「成年後見制度」です。どちらも判断能力が不十分な人を支える制度ですが、自由度が大きく異なります。
成年後見制度: 家庭裁判所が監督します。財産を「守ること」が主目的であるため、例えば「孫の入学祝いを出したい」「資産運用のために不動産を買い替えたい」といった柔軟な支出は原則認められません。また、専門職(弁護士等)が後見人になると月額報酬が発生し続けます。
家族信託: あくまで家族間の契約に基づくため、「家族の判断」で柔軟に管理できます。介護費用の支払いはもちろん、生前贈与や資産の有効活用なども、契約内容に盛り込んでおけばスムーズに行えます。

2. なぜ今、家族信託がこれほど注目されているのか
遺品整理や生前整理の現場から見えてくる、現代社会の切実なリスクが背景にあります。
認知症による「財産凍結」というリスク
日本は超高齢社会を迎え、認知症の発症率は年々高まっています。もし親が認知症になり判断能力がないとみなされると、銀行口座は凍結され不動産の売却契約もできなくなります。
「親の介護費用を親の貯金で払いたいのに、銀行が引き出しに応じてくれない」 「無人の実家を売って老人ホームの入居金にしたいが、名義人(親)の意思確認ができず売れない」
こうした状況に陥ると、家族は持ち出しで介護費用を負担せざるを得なくなります。家族信託は、こうした「財産の凍結」を未然に防ぐための最強の備えなのです。

相続トラブルを未然に防ぐ「第2の遺言」
遺品整理の現場で最も悲しいのは、片付けの最中に親族間での言い争いが始まることです。「誰がこれを持ち帰るのか」「この通帳の中身はどう分けるのか」。
家族信託には「遺言」と同じような機能を持たせることができます。自分が亡くなった後、信託していた財産を誰に引き継ぐかをあらかじめ決めておけるのです。遺言書よりも強力な点として、「2代先、3代先の承継先まで指定できる(受益者連続信託)」という特徴があります。これにより、先祖代々の土地を守りたいといった要望にも応えることができます。
3. 家族信託が向いているケース:あなたは当てはまりますか?
すべての家庭に必要というわけではありませんが、以下のような状況にある方は検討する価値が非常に高いと言えます。
① 将来の認知症に備えたい場合
「今はしっかりしているけれど、物忘れが増えてきた」という段階であれば、まだ間に合います。元気なうちに契約を結んでおくことで、いざという時に子どもが慌てることなく、親の希望に沿った介護を提供できるようになります。

② 自宅や賃貸不動産を所有している場合
不動産は分割が難しく、管理にも手間がかかります。特に「親が一人暮らしをしている実家」がある場合、将来空き家になった際の売却や解体、あるいはリフォームをして貸し出すといった判断を、子どもの世代がスムーズに行えるようにしておくメリットは計り知れません。
③ 相続時の家族の負担を極限まで減らしたい場合
遺品整理の現場では、「財産の内容が把握できていない」ことが原因で作業が止まるケースが多々あります。家族信託を組成する過程で、一度すべての財産をリストアップし、家族で共有することになります。これが結果として最高級の「生前整理」となり、残された家族の事務的・精神的負担を劇的に軽減します。
4. 家族信託の具体的な活用事例(シミュレーション)
イメージを膨らませるために、よくある活用シーンを3つ見てみましょう。
事例A:一人暮らしの母の「介護資金」を確保
状況: 80歳の母。父は他界し、地方の実家で一人暮らし。長男は東京。
信託の内容: 母を委託者、長男を受託者として信託契約。実家と預金の一部を託す。
結果: 数年後、母に認知症の兆候が見られ施設へ入居。長男は受託者として、母の同意を都度取ることなく、実家を売却。その資金を母の入居一時金と月々の利用料に充てることができ、母は手厚い介護を受け続けることができました。
事例B:アパート経営を次世代へスムーズにバトンタッチ
状況: 賃貸アパートを経営する75歳の父。
信託の内容: 長女を受託者とし、アパートの管理・修繕・契約更新を任せる。
結果: 父の体力が衰えても、長女が管理会社とのやり取りをすべて代行。入居者とのトラブル時も、受託者である長女に署名捺印の権限があるため、経営が滞ることはありませんでした。
事例C:障がいを持つ子どもの「親亡き後」対策
状況: 障がいを持つ子どもがいる高齢の夫婦。
信託の内容: 信頼できる親族を受託者とし、夫婦が亡くなった後もその親族が財産を管理し、子どもの生活費を毎月定額で支給するように設定。
結果: 両親の死後も子どもの生活基盤が守られ、浪費や搾取のリスクを抑えつつ、安定した生活を送ることが可能になりました。
5. 家族信託のメリットと、必ず知っておくべき注意点
メリットばかりが強調されがちですが、注意点もしっかり理解しておくことが「失敗しない家族信託」の秘訣です。

家族信託の主なメリット
認知症対策としての即効性: 契約したその日から、あるいは判断能力が低下した時点から、管理をバトンタッチできます。
倒産隔離機能: 託した財産は、受託者(子ども)の固有の財産とは別物として扱われます。もし子どもが借金を抱えても、信託された財産が差し押さえられることはありません。
資産の有効活用: 成年後見制度では難しい、攻めの資産運用や節税対策も継続可能です。
注意しておきたいデメリットとリスク
契約内容が複雑になりやすい: 「誰に」「何を」「いつまで」託すのか。非常に自由度が高いため、設計が不十分だと後で紛争の火種になります。
専門家への依頼費用: 公正証書での作成や、不動産の信託登記が必要です。司法書士等への報酬を含め、数十万円単位の初期コストがかかります。
節税効果は限定的: 家族信託自体に相続税を減らす魔法の力はありません。あくまで「管理をスムーズにする」ための道具です。
親族間の不信感: 特定の子どもだけを受託者にすると、他の兄弟から「勝手に使い込んでいるのではないか」と疑われるリスクがあります。
6. 家族信託を成功させるための3つのポイント
① 「透明性」が命!家族全員での話し合い
受託者になる方は、管理状況を記録し、他の家族に報告する義務があります。これを疎かにすると、仲の良かった兄弟でも簡単に亀裂が入ります。 「なぜこの制度を使うのか」「親の希望はどうなのか」を、正月や盆などの集まりでオープンに話し合うことが、遺品整理の際のスムーズな進行にも直結します。
② 専門家の伴走を仰ぐ
家族信託は、一度契約を結ぶと長期間にわたります。法律(民法・信託法)、税務、登記の知識が不可欠です。
司法書士: 契約書の作成と不動産登記のプロ。
税理士: 信託期間中や相続時の税金をアドバイス。 こうした専門家と連携し、しっかりとした「出口戦略」を描くことが重要です。

③ 「生前整理」とセットで考える
家族信託を検討するタイミングは、家財道具を整理する「生前整理」の絶好のチャンスです。 財産を託す前に、「何を残し、何を処分するか」を親子で整理しておくことで、信託契約の内容もより具体的になります。また、家の中を片付ける過程で、隠れていた通帳や証書が見つかることも多く、財産調査が格段に進みます。
7. まとめ:家族信託は“残される家族への思いやり”
「まだ元気だから大丈夫」 「うちの家族に限って揉めることはない」 遺品整理の現場で後悔される方の多くが、かつてはそうおっしゃっていました。
しかし、家族信託は「財産を奪うための仕組み」ではなく、「本人の尊厳を守り、家族が困らないようにするための贈り物」です。元気なうちに準備を整えておくことで、子どもたちは介護が必要になった時、お金の心配をすることなく、親に「寄り添うこと」だけに専念できます。
相続が発生した後、遺品整理をしながら「お父さん、ちゃんと準備してくれていてありがとう」と思えるか、「どうして何も決めておいてくれなかったの」と嘆くか。その差は、今この瞬間の第一歩にかかっています。
まずは、大きな決断をする前に、ご家族で「将来、どこで、どんな風に過ごしたいか」という雑談から始めてみてください。それが、大切な財産と家族の絆を守るための、最も大切な一歩になります。
